感想文
1998年
第25回青空学校東久留米教室

指導員 あねご

あねごの目にも涙

 今年、あねごは不覚にも泣いてしまいました。 今までの青空だってうれしいことや悲しいことやくやしいことが色々あって、泣きたくなる時も あったけど、意地っぱりなので、みんなの前で泣いたりしませんでした。
 今年の初め、第25回青空学校の第一回実行委員会が開かれた時、「青空は今年で最後」 という結論が出されました。その会議に出ていなかったあねごはお知らせをもらった時に「えーっ!?」 っとは思ったけれど、なんかぜんぜん実感がなくて、そうはいってもきっと誰かが やろうっていうさ、なんて気楽に考えていました。
 でも、最後なら参加しなくちゃ、という指導員が出てきたり、ポスターにも「今年で最後」という 文字が入ったという話を聞いて、あれれ、本当に終わりにしちゃうわけ?とあせってきました。
 青空学校は子どもと指導員がいりゃあできるってもんじゃないって事は、参加した人なら誰でも知ってると思うけど 、準備・当日・あとかたづけの五日間はもちろん、青空を実現させるためにほとんど一年間をかけて 支えてくれている事務局のお母さんの力が大きいのです。
 このところ、O−157の影響や子どもたちの参加が少なくて大変な年が続いてはいたけれど 、青空が続けられなくなってしまった一番の原因はその事務局や実行委員に関わってくれるお父さん、お母さん達が少なく なってしまったことでした。
 今、子どもたちも大人達も、なんだか毎日生きていくだけで疲れてしまうような社会になってしまって、 みんなで力を合わせて何かを作っていくって事が難しくなってきています。 でも、だから青空も終わっちゃうんじゃなくて、だからこそ青空は続けて行かなくちゃなぁと思います。
 参加人数は減っても「また来年会おうね」って言って別れる子どもたち、そして指導員になるのを楽しみに待っている 中学生達に、とても「今年で終わりだよ」とは言えない、言いたくないと思いました。 でも、ただ「やりたい」って言うだけじゃあできないし、一度は終わりという結論を出した後でもなお青空を続けてい きたいと思う人がどれだけいるのかが、ちょっと不安でもありました。 その不安は25回の青空を進めていくのと平行に、26回の準備会を組織していく中でもいつもついてまわりました。
 そして、青空2日目の「たくさん話そー!!」の授業の時間。あの時、子どもたちにつかなかった18人の指導員も 輪になって話しました。 テーマは「私と青空」。一人一人が順番に青空への思いを語り、それがいろんな関わり方をしているけれど 、みんな青空が大好きなんだなぁー、青空って大切な場なんだなー、というのがひしひしと伝わってきました。 あねごが泣いたのは、この時です。青空はやっぱり終わらしちゃいけない、そして、この連中とならこれから一緒に青空を作っていけるぞー、 そう思ったら、嬉しかったのと安心したのでなんだか涙が出てきちゃいました。 初めてあねごの涙を見た早苗は「あねごの目にも涙」と言いました。 あたしゃオニか。ま、この際オニでもなんでもいーや。
いつまでも「また来年」って言える青空にしたいな。

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